保護犬ポン子と家族の成長

世の中で殺処分されている犬、猫がどれだけいるかご存知ですか?犬猫合計8.2万頭と言われています。そんな中から一匹のワンちゃんが我が家に来ました。ペットショップで買った赤ちゃんではなくてもこんなに幸せに出来る!こんなに笑顔が増える!我が家での保護犬と家族のストーリーをここに記せたらと思います。

020 感動と感謝

我が家にポン子が来て日に日に明るくなるポン子を見て幸せな毎日を送っています。

最近一つ困ったいることがあります。

それは

 

 

 

 

 

家族みんなでお散歩に行かないとダメ!!

 

 

 

 

 

どうゆうことかと言いますと

例えば朝僕一人でポン子をお散歩に連れていきます。

ずっと後ろを気にして

「みんなまだかなぁ...」

何と言いますか、お散歩に集中しないんです。

というよりちゃんと歩かない...排泄もしない

 

コロナの影響もあり、毎日のお散歩は家族5人でという流れが出来上がりました。

ポン子もそれを当たり前と思うようになってしまったのだと思います。

先にポン子と家を出て、数分後に他の3人が来るとこれでもかというくらい喜ぶポン子

尻尾を振ってウサギの如くぴょんぴょん飛び跳ねる。

長男を追いかけ、次男のにおいをクンカクンカ、奥様には最大限の愛を体で表す。

本当に嬉しそうにするんです。

 

我が家に初めて来たときは尻尾はお腹の方まで畳み込まれ、腰は丸まり、困ったような表情でこちらを見つめていました。

mr-santa.hatenablog.comポン子はタイトルにふさわしいほど成長しました。

それに従い長男も次男も成長しています。

家族との距離が近くなるのと比例して生まれた愛。

まさかその愛がお散歩の邪魔をするとは(笑)

うれしくも困った状況です。

ポン子には本当に感謝していて、僕はポン子が家に来るまで絶対に犬は飼えない!!と思っていました。

 

 

僕がまだ高校生だった頃、プリンちゃんというウェルシュコーギーがわが家にきました。

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名前は僕が命名しました。

理由はプリンが大好きだからといった単純な理由です。

彼女は7年間という短い月日で急死してしまいました。

彼女は本当に賢く、「待て」と言えば1時間でも2時間でも待っていました。

リードを付けなくても「つけ」と言えば左側をくっついて歩いてくれました。

ボールと言えば家のボールを持ってきてくれました。

典型的なビビりちゃんでしたが、彼女が僕や家族に残してくれた思い出は一生色褪せることはないと思います。

死亡原因はガンだろうとのことでしたが、解剖しないと確かなことは分からない。

解剖してまで原因を知りたいと思いませんでした。

今でも鮮明に覚えています。

 

母「大変!プリンが死んじゃう!!!」

僕「ん~。ちょっとまって」

母「早くして!!プリン!プリン!!!!」

一階へ降りる。

状況を見て寝ぼけていた僕は。。。

僕「!!?」

母「どうしよう」

僕「病院早く電話して!プリン何してんだよ!おい!!!」

かかりつけの病院へ車で行く。

先生「手はつくしましたが」

僕「てめー!!医者だろ!プリンはまだ7歳なんだよ!なんとかしろよ!!!」

母「・・・」

僕「なんか言えよ!」

先生「お気持ちはわかりますが」

僕「頼むよ!先生!!お願いだよ。。。」

先生「・・・」

僕「プリン。。。ごめん。ごめんな。俺がもっと早く下に降りてれば。。。」

静寂

僕「先生!俺何でもするから頼むよ。プリンをなんとかしてくれよ。」

・・・・・・・・・・

この後先生に何を言ったのか、母親がどうやって僕を説得したのか。車まで歩いている間の記憶さえもほとんどありません。

 

帰宅するまでの間ずっとプリンを抱きしめていました。

だんだんと冷たくなるプリン。

 

帰宅後

アルバイト中の弟に母親から連絡をしていたそう。

僕は放心状態になったり奇声を上げたり壁を殴ったり。

落ち着いてからはプリンの体を濡らすくらいの涙を流してずっとそばから離れませんでした。

数時間後弟帰宅

弟「プリン!おい!起きろよ!!!」

僕「・・・」

弟「ふざけんなよ!なんでだよ!ただの風邪じゃなかったのかよ!」

そう。2日ほど前から少し調子が悪かったプリン。

でも、まさか最後になるなんて...

僕「怒ったって何にも変わんねーだろ!」

弟「なんでだよ。昨日まで普通に元気だったじゃねーか!!」

僕「・・・」

 

その後7年間で一度もプリンと家族全員で写真を撮ったことがなかったので撮影しました。

父「頑張ったな。」

家族全員涙が止まらない。そんな状況下で母は僕たちの大好きなカツを作ってくれたのを10年以上たった今でも覚えています。

 

母は偉大だと思います。

父が流した涙は祖母が亡くなったとき以来でした。

弟はいつも嬉しそうにプリンと遊んでいました。

そして僕はお医者さんに最低なことを言いました。

僕はプリンに対してできることの最善を尽くしていませんでした。

お散歩も自分の行きたいときに行き、めんどくさいときは行かなかった。

父は毎日お散歩に連れて行ってました。

亡くなってから気が付きました。

お散歩行けばよかった。

プリンの好きなボールでもっと遊びたかった。

泣いても泣いても帰ってこないプリン。

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何日も泣いて当時大学生だった僕は放心状態だったんだろうと思います。

それまでただ良い曲だなと思っていた曲「ジョンの純な恋物語

プリンがいなくなってからこの曲が聴けなくなっていました。

 

 

気が付くと僕には本当に素敵な奥様がいます。

彼女も僕とお付き合いをして10年間もの間に嫌な思いもたくさんしたでしょう。

しかし、その奥様の頑張りあって子供二人がいます。

奥様が3人目にあたるポン子を連れてきて、ポン子との生活が当たり前になり

僕の中で初めてプリンの記憶がいい思い出になり始めています。

もしよかったら聞いてください。youtubeにも上がっていたので著作権などにはかからないと思いますが、何か言われたら消します。

 

プロフィールにも大したことを書いていませんが、これが私と犬との歴史です。

閉ざされていて、その後続くことのなかった歴史がまたポン子と家族によって動き始めました。

 

文頭にも上げましたがお散歩はみんなで行かなくてもちゃんと歩こうね!

パパは時間があるときはなるべくお外に行くようにするから!

これからも元気で長生きしてね!

ポン子も家族も本当に愛してる!

 

 

ということで湿っぽい記事になってしまいました。

最後に、犬や猫などの動物は言葉が話せません。

好きも嫌いも言えません。

人間よりも遥かに不自由な生活をし、それでも飼い主に尽くします。

忘れないでください。

犬はおもちゃじゃありません。リセットボタンでもう一度やり直すことも出来ません。

精一杯の愛情を是非注いであげてください。

絶対にそれがあなたの幸せに繋がります。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

それではまた次回の更新で!